たわいもない日常と、旅の話を綴っています。
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50番札所9:26発、9:37着。
道後温泉に近い場所柄、車は周辺にある有料駐車場へ。
場所に寄って値段設定が少し違うみたいです。
敷地に入ってすぐのところに「衛門三郎」の像がありました。

欲深い衛門三郎は托鉢に来た僧が弘法大師とは知らずに鉢を割って追い返した。
その後、三郎の8人の子供が次々と亡くなり、僧が弘法大師であったことを知る。
非礼を詫びようと弘法大師を追って巡礼の旅に出る。(四国巡礼の元祖と言われている)
20回巡礼しても弘法大師には会えず、逆に巡礼していた途中、12番札所近くで病に倒れる。
そこに大師が現れ、三郎は非礼を詫びて息を引き取った。
大師は「衛門三郎再来」と書いた石を三郎の左手に握らせた。
翌年、伊予の国の領主に男の子が生まれたが、左手を握ったまま開こうとしない。
領主が僧に頼んで祈願してもらったところ、手を開いて「「衛門三郎再来」と書かれた石がでてきた。
その石を収めた寺がここ、「石手寺」なのです。
今回も写真多めなので、記事を折りたたんでおきますね。
道後温泉に近い場所柄、車は周辺にある有料駐車場へ。
場所に寄って値段設定が少し違うみたいです。
敷地に入ってすぐのところに「衛門三郎」の像がありました。
欲深い衛門三郎は托鉢に来た僧が弘法大師とは知らずに鉢を割って追い返した。
その後、三郎の8人の子供が次々と亡くなり、僧が弘法大師であったことを知る。
非礼を詫びようと弘法大師を追って巡礼の旅に出る。(四国巡礼の元祖と言われている)
20回巡礼しても弘法大師には会えず、逆に巡礼していた途中、12番札所近くで病に倒れる。
そこに大師が現れ、三郎は非礼を詫びて息を引き取った。
大師は「衛門三郎再来」と書いた石を三郎の左手に握らせた。
翌年、伊予の国の領主に男の子が生まれたが、左手を握ったまま開こうとしない。
領主が僧に頼んで祈願してもらったところ、手を開いて「「衛門三郎再来」と書かれた石がでてきた。
その石を収めた寺がここ、「石手寺」なのです。
今回も写真多めなので、記事を折りたたんでおきますね。
衛門三郎の像がああるところから少し歩くと山門があります。国宝だそうですよ!
中はとても広いです。本堂、大師堂と参拝をして・・・
大師堂の横にこんなものが。
「訶梨帝母天堂」です。妊婦がここの石を拾って持ち帰り、無事出産したら石を2つにして返すのだそう。
なるほど、それなら石が無くなることはないですね!
そして見上げれば、山の上に弘法大師の像が!
さて、くるりと回って・・・
「マントラ洞窟」です。 入っていってみます(^^)
薄暗い洞窟の中を、慎重に歩いていきます。少し上り坂。
でも水滴で濡れててすべりやすい場所もありました。
出口です。一般道にでました。
道路を渡った先には奥の院があるみたいです。
奥の院には行かず、また洞窟に戻り、途中にあって分かれ道のほうに進みました。
左側が別の洞窟の出口で、出口の正面(写真右側)には弘法大師像がありました。
ここは大師堂の裏側あたりになります。
洞窟の中になにがあったのかは、行って見てみてください(^^)
場所を移動して・・・「硫黄島平和の碑」があったり・・・
なぜかパゴタがあってビックリ!
「ビルマの戦い」に関連しているようでした。
入館料1人を200円を払って宝物殿へ。「寺宝」の「石」等を見ました(^^)
順路に従って宝物館の外へ出ると・・・
こんな中庭が! ブッダの生涯のレリーフがありました。
広くて見所が多かったから、つい時間を食っちゃったな。
1時間以上いました(^^;)
10:50発。
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